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日本海軍 艦上攻撃機
B5N 九七式三号艦上攻撃機 村田重治少佐機 ハセガワ 1/48 (2016年11月製作)


 1942年10月26日 南太平洋海戦
 第1航空戦隊 翔鶴飛行隊長 村田重治少佐機
「雷撃の神様」と言われた村田少佐はこの南太平洋海戦で空母ホーネットを雷撃後、被弾炎上した為、そのままホーネットに体当たりして散華したのであった。

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使用したキットはハセガワの限定モデル09423
定番モデルのJT76(2000年12月発売)は爆装のみで魚雷が付いていないので、魚雷付きのキットを使用した。電探も付いていたがそれは使わなかった。村田少佐機はハセガワオンラインでキットが販売されているようだが、手持ちのキットを使用してデカール自作して製作することにした。


組み立ててまず驚いた事は、零戦に比べて翼が異様に大きい事だ。3人乗りの大型機なのだから考えてみれば当然か。


九七式艦攻は主翼と水平尾翼の間にアンテナ線を張るという前時代的な方式をとっている。おかげ様でアンテナ貼るのがちょっと面倒だったぞ。


お腹にぶら下げているのは九一式航空魚雷。九七式艦攻が最高速度(377km/h)のまま減速せずに投下できるハイテクウェポンなのである。

それにしても巡航ミサイルが当たり前となった現在から考えると、800kgの魚雷をぶら下げた有人の航空機が敵艦に肉薄して魚雷を投下するなんて、相当にワイルドな攻撃法だ。航空雷撃というものは「3回成功させて帰還した人はいない」と言われたくらい生還率の低い任務だったらしい。


 マーキング「EI-301」について
「EI」は翔鶴艦載機を表す。100番台が戦闘機、200番台は爆撃機、300番台は攻撃機。
301号機は攻撃機隊の一番機であり翔鶴飛行隊の飛行隊長機でもある。

1941年12月 開戦当初の編成と各艦載機のマーキング
 第1航空戦隊 赤城 AI、加賀 AII
 第2航空戦隊 飛龍 BI、蒼龍 BII
 第3航空戦隊 鳳翔 CI、瑞鳳 CII
 第4航空戦隊 龍驤 DI、大鷹 DII → 龍驤、隼鷹
 第5航空戦隊 翔鶴 EI、瑞鶴 EII

1942年6月のミッドウェー海戦で空母4隻を失った後に再編成が行われ、元5航戦の翔鶴と瑞鶴、それから元3航戦の瑞鳳が1航戦に移籍することになった。マーキングは5航戦時代の「E」のまま、瑞鳳は「CII」から「EIII」に変更された。
 第1航空戦隊 翔鶴 EI、瑞鶴 EII、瑞鳳 EIII → 翔鶴 A1-2、瑞鶴 A1-1、瑞鳳 A1-3
 第2航空戦隊 飛鷹 A2-1、隼鷹 A2-2、龍驤 A2-3
1942年10月の南太平洋海戦時は新1航戦の艦載機は「E」、新2航戦は「D」を使い続けていたが、43年頃から「A1」「A2」に変わっていたらしい。
(参考にしたサイト 尾翼の部隊識別記号真珠湾攻撃隊のマーキングについて調べてみた


ファインモールドのナノ・アヴィエーションのシートベルトを使用した。


胴体を閉じる前のコクピットの様子。
どうせ完成後はあまり見えなくなるだろうという事で、記念撮影しておいた。



『空母雷撃隊』 金沢秀利
この本があまりに面白くて、九七艦攻のプラモが作りたくなり製作したわけである。

著者の金沢氏は九七艦攻の電信員で、「3度やって生還した人はいない」と言われた雷撃を2度行った人物。
2航戦の飛龍所属、1941年12月の真珠湾攻撃では松村大尉麾下の第1次攻撃隊として1度目の雷撃。42年6月のミッドウェー海戦では第1次攻撃隊でミッドウェー島を水平爆撃。帰還時に不時着して駆逐艦に拾われた事で結果的に命拾いする。(その間に飛龍は撃沈されている。)
42年10月の南太平洋海戦では2航戦の隼鷹に所属。入来院大尉麾下で2度目の雷撃。ホーネットを沈めたところでこの本は終わる。
「おまえ達は絶対にホーネットを沈めて来い。お前たちが帰ってくることを喜ばない。ただホーネットが沈んたことを喜ぶ」


おまけ
南太平洋海戦時の編成
第3艦隊(司令長官:南雲忠一中将 参謀長:草鹿龍之介少将)
 第1航空戦隊:南雲忠一司令長官直率
   航空母艦:翔鶴、瑞鶴、瑞鳳
 第11戦隊 司令官:阿部弘毅少将
 第7戦隊 司令官:西村祥治少将
 第8戦隊 司令官:原忠一少将
 第10戦隊 司令官:木村進少将
 第4駆逐隊 司令:有賀幸作大佐
 第10駆逐隊 司令:阿部俊雄大佐
 第16駆逐隊 司令:荘司喜一郎大佐
 第17駆逐隊 司令:北村昌幸大佐
 第61駆逐隊 司令:則満宰次大佐


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